観賞用だけじゃない、かつては暮らしにも役立っていた藤
様々なシーンで役立つ藤
例年、4月から5月にかけて開花する藤の花。
白や紫の花が 辺り一面に広がる様子はとても幻想的で 多くの人々に鑑賞されています。
日本人と藤の関わりは長く、古代から人々の暮らしに深く関わってきました。
それは鑑賞用として愛でるだけでなく、
古代においては衣服や道具へと形を変えて人々の暮らしを
便利で豊かなものにする一助を担っていました。
今回は「暮らしに役立つ藤」という視点で少しばかり触れてみます。
田んぼの神様の依代
藤は、古代の田植えにも影響していました。
藤の花が咲く頃は、そろそろ田植えの準備する時期と重なるため、
藤は農作業の時期を測る目安でした。
人々にとって、いわゆる「自然暦」の機能を藤が担っていたわけです。
天道花(てんとうばな)の風習
近畿地方や中国地方では、農作業を始める頃に、
「天動花」が習わしが行われていました。
「天動花」以外に、「高花 (たかはな)」や 「八日花」とも呼ばれています。
旧暦の4月8日に、山から藤の花を採取して、
高い竹竿の先に結んで、軒先に立てて飾っていました。
この行いは、山から農業の神様をお迎えするためのもので、
藤の花が田んぼの神様をお招きする依代(よりしろ)として
人々から重用されていました。
丈夫な藤織り(藤布)
藤は古代から、庶民の衣服の材料となる自然布として活用されていました。
藤織りは、山に自生する藤蔓の皮を剥いで糸とし、それを織りあげるものです。
藤布(ふじふ)とも呼ばれていました。
藤のつるから取れた繊維はとても強くて丈夫で、
さらに塩や水にも対しても耐性があったことから、
特に沿岸部の人々にとって有用な衣服でした。
万葉集(奈良時代末期に成立したとみられる最古の和歌集)に、
「大王の塩焼く海人の 藤衣なれはすれども いやめづらしも」
という和歌があります。
藤から取れた強い繊維が藤布となって、
塩づくりにおける作業着として活用されていたことが分かります。
塩分に強い特性を活かして、海藻やアワビの運搬袋や醤油を絞る袋として、
また熱にも強いので、豆腐のこし袋や餅を蒸すときの敷布として、
さらに摩擦にも強いので畳のヘリ材として、
様々な用途に活用されていました。
麻や木綿の普及にともなって姿を消していきましたが、
この藤織り・藤布の伝統を残そうと京都・丹後には保存会があり、
反物や帯、帽子などが藤布で作られているようです。
かつては吊り橋にも使われた藤づる
強靭さを示す藤のつるは、
平安時代には布だけでなく、吊り橋にも使われていました。
現代では使われることはなくなりましたが、
7年毎に行われている諏訪大社の御柱祭において、
御柱を運び出す手段として藤のつるを使っています。
このことから、おそらく古代では巨木や巨石の運搬に、
藤蔓が活用されていたと想像します。
クラフト・つる細工に活かされる藤
今では藤織り・藤布を身近でみる機会はなくなりましたが、
現代においても、藤は籠(カゴ)などのつる細工の材料としては、
まだまだ活用され続けています。
その丈夫さによって耐久性あるカゴとして、
また藤のつるや幹の独特な曲がりを活かして創作家具にも活用されています。
歌舞伎舞踊の藤娘
歌舞伎を好きな方々なら、
藤をいえば「藤娘の踊り」を連想されるかもしれません。
黒塗りの笠に、藤の枝を肩にかけて、艶やかな姿の「藤娘」が踊ります。
藤娘のルーツは元禄時代にまで遡ります。
「大津絵」は元禄時代における近江国大津の民画です。
近江国大津を旅する人々へのおみやげとして売られていました。
「大津絵」の中でも評判を呼んでいたのが、「藤娘」の絵でした。
藤娘の絵を家に飾ると、「良縁が得られる」と言われて人気を博していました。
この縁起あるストーリーが注目されて舞踏化されて、
後に歌舞伎にも取り入れられたと言われています。
まとめ
藤はその強靭さから人々の暮らしを支えてきました。
古代においては、田んぼの神様をお招きする依代として、
人々の作業着として、運搬業における道具として、
現代では、クラフトワークの素材として活用されています。
現在、藤の花が見頃を迎えており 各所で藤の花見が行われています。
その幽玄な藤の花の美しさを鑑賞するに際して、
藤と人の関わりの歴史、藤の文化史に少し触れると、
藤の花見がもっと趣き深いものになります。
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