秋の七草
秋の七草って何?
七草と言えば、「春の七草」がとても有名です。
春の七草は五節句のうちの一つで、
1月7日に邪気を祓い万病を除くよう、
七草入りのお粥を食べるようになりました。
この七草入りのお粥はいろんなメディアに
毎年1/7やその前後に取り上げられるので、
多くの人にとって馴染みがあります。
一方で、
「秋の七草」があることを知っている人はそう多くはないかもしれません。
今回は「秋の七草」について少し触れてみます。
秋の七草の始まり
万葉集において山上 憶良(やまのうえ の おくら)が、
「秋の野に咲きたる 花を指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」
「萩の花尾花葛花 なでしこの花 女郎花また藤袴 朝貌(あさがお)の花」
と詠んだことが「秋の七草」の始まりとされています。
秋の七草のほとんどは、薬用・食用・染料・衣料・用材など、
万葉の人々にとっては日々の暮らしに役立つ とても重要な有用植物でした。
また秋が訪れて七草と称される植物たちが野原に咲き乱れる様子は、
短歌や俳句、絵画の題材とされてきました。
秋の七草は、
春の七草のお粥のような摘み取ってから「食べる」という恒例行事はなくて、
野原を散策して花々を観て眺めて楽しむ、
観賞用として定着しました。
江戸時代に創られた絵画の中には、
人々が秋の七草を鑑賞する様子が描かれたものがあります。
「朝貌」はアサガオ じゃなくて桔梗
山上 憶良(やまのうえ の おくら)が万葉集に、
「朝貌の花」という言葉を残していますが、
これはいわゆる「アサガオ」ではないとされ、
今日では桔梗(キキョウ)のことであろうと言われています。
その理由としては、
アサガオは熱帯アジアを原産地とするヒルガオ科に属しており、
ヒルガオ科の植物が日本に導入されたのは平安時代なので、
奈良時代末期に成立したとされる万葉の頃には、
まだ日本では見ることができなかったと推定されるからです。
それでは次に、
秋の七草と称されるぞれぞれの植物について触れてみます。
萩(ハギ)
山野に自生して高さは1〜2mくらいにまで成長します。
花期には地面に着いてしまう程に枝が垂れます。
7〜9月に葉っぱのわきから長い総状花序を出し、
紫紅色をした長さ1.3〜1.5cmくらいの蝶形花を開きます。
女郎花(オミナエシ)
日当たりのいい山野の草地に生える、
高さ0.6〜1mの多年草です。
その語源は様々な説があり、
「女(オミナ)を圧(へ)すような美しさ」に由来するとか、
「女(オミナ)飯(メシ)」(粟飯)が訛った言葉などと、
諸説が伝えられています。
朝貌/桔梗(キキョウ)
日当たりのいい草地に生える高さ0.5〜1mの多年草で、
7〜9月の間に鮮やかな青紫色の花を咲かせます。
根は生薬の原材料として使用され、
薬草の漢名である「桔梗(キチコウ)」が訛って、
「キキョウ」という名前になったと言われています。
撫子(ナデシコ)
山野の日当たりがいい草地や河原に生える、
高さ30〜80cm程の多年草です。
花は淡紅紫色で花弁が細かく糸状に裂けているのが特徴です。
花は小ぶりで撫でてやりたい可愛らしさがあることから
「撫子(ナデシコ)」という名前が付けられたと言われています。
藤袴(フジバカマ)
川岸の土手などに生える、
高さ1〜1.5mの多年草です。
中国原産で日本には奈良時代に渡来したと言われています。
その葉は生乾きの時には桜餅の桜の葉と同じクマリンの香りがします。
古代の中国では身につけたりお風呂に入れたりしていました。
尾花/ススキ
山野の至る所に生える高さ1〜2mの大型の多年草です。
すくすく立つ木(草)という説もありますが、
語源ははっきりしていません。
ススキの仲間をカヤというのは、
葉を刈って屋根を葺い他ので「狩屋根」が訛ったと言われています。
葛(クズ)
山野のいたるところに見られます。
大型の蔓状草本で茎の基部は木質となります。
根は太く大きく多量のデンプンを含んでおり葛粉が取れます。
漢方薬の葛根湯にも活用されています。
前の記事へ
« リモートワークでエアコンの汚れが拡大する?次の記事へ
富士通製のエアコンを2年ぶりにクリーニング »